他人に親切な行為をする際、衝動的に行うこともあるが、それをしようか迷うときもある。
例えば電車内でお年寄りに席を譲るかどうするかというとき。
(自分もせっかく座れたのに…)
(あのお方は「お年寄り」に属さないのでは…)
(そもそも白毛の量のみで年齢を判断するのは失礼か…)
(あの方の立ってる位置に一番近いのはそこの男性であり私ではない…)
などとどうでもいいことを考えてしまうときもある(クズ)。
そうやって譲ろうか迷っているうちに他の誰かが譲って、「なんで私は…」と自己嫌悪するのがオチである。
そんな自己嫌悪にならないために発動させるのが「情けは人の為ならず」精神。
なさけはひとのためならず【情けは人の為ならず】
情けを人にかけておけば、巡り巡って自分によい報いが来るということ。 〔近年、誤って本人の自立のために良くないと理解されることがある。〕
情けは人の為ならず(ナサケハヒトノタメナラズ)とは - コトバンク
ここで言ってるのは本来の意味の方。
(最近では誤用を本来の意味と認識する人の割合の方が多いんだとか)
ここでは「本当にいいことが巡り巡って自分にやってくるのか」ということは問題ではない。
「今いいことしたら絶対今度は自分にいいことあるわ!」
と信じることが大切なのである。
本来は良いことは無心でやれたら良いんですけどね。
しかしこのマインドさえあれば、「しなくても自分は損しないけどやった方がいいこと」への行動意欲が湧いてくる。
バイトのシフトに代わりに入るのを頼まれたときなんかにも使える。
この有能メンタルの面白いところは、
「今この人に恩を売っとけば後で返されるかも。」
みたいな直接的な見返りを求めているわけではないところ。
あくまでも巡り巡って良い報いが来るかもしれないというのがなんとなく嬉しく、そしてわくわくするのだ。